すみれブログ
AIは「発明者」になれるのか? 〜世界を揺るがした「ダバス事件」から考える、AI時代の泥臭い現場力〜
2026年01月22日

ChatGPTやGeminiのような、驚くような高性能生成AIの誕生により、これまでAIには無縁だった一般の人たちの生活や仕事が一変するような時代になりました。

「凄い時代になったなぁ」と思う一方で、私たち弁理士や発明に携わる人間にとって、避けては通れない「巨大な問い」が突きつけられています。

それは、「もしAIが、人間も驚くような画期的な発明を自力で生み出したら、その特許は誰のものになるのか?」という問いです。

実は今、この問題をめぐって世界中の特許庁と一人の科学者が真っ向から対立しています。それが、今回ご紹介する「ダバス(DABUS)事件」です。

「AIを発明者として認めてくれ!」と叫ぶ科学者に対し、日本の特許庁と裁判所が出した答えは、驚くほど冷静で、かつ「人間への信頼」に満ちたものでした。

今回は、この事件の経緯を紐解きながら、AI時代だからこそ価値が増す「弁理士の泥臭い現場力」について、私なりの考えをお話ししてみたいと思います。

 

そもそも、今回問題となった「ダバス(DABUS)」とは、一体どんなAIなのでしょうか。

開発者のスティーブン・セーラー博士によれば、ダバスは単なる「計算機」ではなく、人間が具体的な答えを教えなくても、AI自身が試行錯誤を繰り返し、新しいアイデアを「自律的に」生み出すように設計された、いわば「創造するAI」とのことです。ChatGPTやGeminiのように人間の問いに対して自ら考え、答えを生成するAIです。

そんなダバス(AI)が実際に生み出し、特許出願された発明は以下の2つでした。
1.「食品容器」:熱効率が良く、ロボットが掴みやすい複雑な形状の容器。
2.「点滅灯」:人間の注意を最も引きやすいパターンで光る装置。

驚くべきことに、これらは人間が「こういう形を作れ」と命令してできたものではありません。プロンプトは分かりませんがセーラー博士の曖昧な問いに対してダバスが自ら「この形状の方が効率的だ」「この点滅パターンが最も目立つ」と導き出したのです。

セーラー博士は、これを見て確信しました。 「この発明の真の親は、私ではない。AIであるダバスだ」と。

そして博士は、世界各国の特許庁に対し、ある「挑戦状」を叩きつけます。願書の「発明者」の欄に、自分の名前ではなく「DABUS, The invention was autonomously generated by an artificial intelligence(ダバス、この発明はAIによって自律的に生成された)」と記して提出したのです。

 

ここから、世界を巻き込む「AI vs 法律」の長い戦いが幕を開けました。

博士の「AIへの愛」がこもった願書を受け取った日本特許庁の反応は、驚くほど事務的で、かつ揺るぎないものでした。

特許庁が出した結論は、「願書の記載不備による却下」。 つまり、発明の内容が良いか悪いかを判断する前の段階で、「願書の書き方がルール違反なので、受け付けられません」と門前払いをしたのです。願書は発明者や特許出願人の住所、氏名などを記載する書誌的な書面です。

日本の特許法では、願書の発明者の欄には「氏名(姓名)」と「住所」を書かなければなりません。特許庁は博士に対し、「AIは人間ではないので「氏名」を持ち得ない。人間の名前に直してください」と何度も補正(書き直し)を命じました。しかし、博士はこれを拒否。

博士が拒否した理由は、もし人間を発明者として登録したら、それは嘘をつくこと(虚偽記載)になるし、そもそも自分がアイデアを出していないのに自分の名前にするのは、科学者・発明家としてのプライドが許さなかったのでしょう。

結果として、この出願は審査の土俵に上がることなく、入り口の段階でシャッターを下ろされることになったのです。

この判断を不服とした博士は、舞台を東京地裁へと移します。特許庁の処分は不当だから取り消せという訴えです。しかし、2024年5月、裁判所は特許庁の判断を支持しました。

裁判所が「NO」と言った最大の理由は、「権利には責任が伴う」という点にあります。特許が認められれば、それは大きな「財産」になります。もし特許をめぐって裁判が起きたら、誰が裁判所に出頭するのか?他人の権利を侵害したとき、誰が賠償金を払うのか?

今の法律では、AIは契約を結ぶことも、責任を取ることもできません。「責任を取れない者に、独占的な権利を与えることはできない」。これが、日本の法律が守り続けている「人間中心」のルールなのです。

でも、特許になったらその権利の所有者(特許権者)は、その手続きを行った特許出願人であって今回の出願の特許出願人はセーラー博士という人間ですので何ら問題はないのでは?という疑問が湧きます。

それでも裁判所は、その主張も認めませんでした。その理由は次のとおりです。

特許法では人間が発明を完成させると、完成と同時に「特許を受ける権利」というものが自然発生する(法律用語では「原始的に帰属する」といいます)という考えを採用しています。この「特許を受ける権利」というものは、国に対して自分の発明を特許してくれと要求できる権利です。そして、この権利は発明者から他人に譲渡できるという性質を持っています。

つまり、発明者自身がこの「特許を受ける権利」に基づいて特許出願人として手続きすれば、発明者自身が将来特許権者になれるし、発明者がこの「特許を受ける権利」を他人に譲渡すれば、それを譲り受けた他人が特許出願人として手続きすれば、その他人が将来特許権者になれるというわけです。

だから、セーラー博士がAIから「特許を受ける権利」を譲り受けて特許出願人として手続きすれば何ら問題ないのではないか?と思うのですが、裁判所は認めませんでした。

人間以外のものが発明をすることは考えられないし、仮に発明できても人間でないAlにはこの「特許を受ける権利」が自然発生しない、発生していない「特許を受ける権利」をセーラー博士に譲り渡すことはあり得ない、というのが裁判所の判断です。

この「AIは発明者になれない」と判断したのは日本だけではありませんでした。アメリカ、イギリス、欧州(EPO)、オーストラリア、韓国などでも認められませんでした。

ですので日本の裁判所の判断は至極まっとうに見えるのですが、反論の余地を認めない一刀両断的な判断の裏側には、最近急激に進化を遂げた、何か得体の知れないAIという怪物に対して、裁判官の畏怖というか拒絶感が透けて見えます。

その恐ろしさの根源は何かというと、裁判官を含めた一般人にはその仕組みやロジックがブラックボックス化しており、中身が分からないということです。

AIといってもその実体は機械と数字からなる情報処理装置(コンピュータシステム)です。従来のシステムは人間が書いた明確なプログラム(命令セット)に従って動くのに対し、AIはその中核となる推論を、人間の脳を模した「学習済みAIモデル」が担っています。

膨大なデータから自ら法則を見出すそのプロセスは、時に開発者ですら予測不能な結果を導き出し、あたかもAIが独自の「意思」を持っているかのような錯覚を私たちに抱かせるのです。

しかし、裁判所が「AIは発明者になれない」と判断したことは、決してAIの可能性を否定したわけではないと思います。むしろ、「AIという強力な道具を使いこなす「人間」の役割が、これまで以上に重要になった」と私は考えています。

AIは、過去の膨大なデータから「それらしい答え」を出すのは得意です。しかし、そこには決定的に足りないものがあります。それは、現場で汗をかき、試行錯誤する中で生まれる「納得感」と「戦略」です。

AIに「何か発明して」と言っても、出てくるのは100万通りの無機質な案です。 しかし、私たちが現場でお客様と対話するとき、大切にするのは言葉の裏にある「想い」です。「本当はここが一番苦労したんだ」「この数ミリの差が、現場の職人を助けるんだ」。

そんな「泥臭い会話」の中から、本当に守るべき価値(発明の核心)を言語化する。これは、今のAIには逆立ちしてもできない芸当です。

ダバス事件でもそうでしたが、特許の手続きは「願書を出して終わり」ではありません。審査官から厳しい意見(拒絶理由)が来たとき、AIなら「データの再計算」しかできません。ですので、AIに反論文を作らせても審査官には響きません。

しかし、私たち弁理士は、審査官の意図を汲み取り、時には電話をかけ、時には面接を行い、「なぜこの発明が世の中に必要なのか」を論理と熱意で説得します。

特許は、取ることがゴールではありません。その権利を使って商売を守り、時には模倣品と戦うための「武器」です。AIは裁判であなたを守ってはくれません。

「この権利で、あなたの会社を必ず守り抜く」という覚悟を持って判子をつき、責任を引き受ける。その泥臭い責任感こそが、AI時代にこそ求められるプロの価値だと私は信じています。

「AIは発明者になれるか?」というダバス事件の問いは、私たちに「人間は何のために発明をするのか」を再確認させてくれました。

法律が「人」にこだわるのは、発明が単なるデータの組み合わせではなく、誰かの悩みを解決したいという「願い」や、新しい未来を作りたいという「情熱」から生まれるものだと信じているからではないでしょうか。

AIを恐れず、賢く使う。補助ツールとしてAIを活用し、アイデアの幅を広げる。「人間」の役割を忘れない。AIが出した案を評価し、責任を持って社会に届ける。プロの知恵を借りる。複雑なAI知財のルールは、信頼できる弁理士と共に乗り越える。

技術がどれほど進化しても、特許庁の向こう側にいるのも「人」であり、発明を使うのもまた「人」です。

ChatGPTやGeminiのような驚異的な生成Alであっても課題は山積しており、成長過程の一段階に過ぎません。お金と電力がかかりすぎるのです。ですので、いま主流となっているTransformerやCNNなどに代わる新たなアーキテクチャーについて世界中の企業が必死で鎬を削っています。

現在のAIブームで絶好調なNVIDIAであっても次のアーキテクチャーが出てきたらあっというまに凋落するかもしれません。かつてアメリカのRCA社(Radio Corporation of America)という世界一の真空管メーカーが、日本の弱小メーカーだったソニーが開発したトランジスタラジオで一気に駆逐されたようにテクノロジーの世界は一瞬先は闇です。

こうした技術の激変期だからこそ、変わらないのは「誰が責任を持ってその技術を世に出すのか」という人間の意志ではないでしょうか。」

「AIを使ってこんなものを作ってみたけれど、特許になるのかな?」「このAI画像、勝手にSNSに使っても大丈夫?」 そんな小さな疑問でも構いません。AIという新しい風を、あなたの事業の追い風に変えるお手伝いをさせてください。

埼玉県草加市の地で、皆さんの「ひらめき」を「一生モノの権利」に変えるために、私は今日も泥臭く、全力で取り組んでいきます。

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特許の裁判のお話
2024年08月1日

自社で汗水流して開発した特許発明が他人に勝手に模倣されたら腹立たしいのはいうまでもなく、模倣製品によって特許製品の売り上げが落ちたり、劣悪な模倣製品のクレーム対応に追われるなどの経済的な損失が発生します。

 

このような模倣製品が出回ったら特許権者はその模倣している相手方に対してその模倣製品の製造販売をやめろといったり、それまでの損害を賠償しろと請求することができますが、普通はすんなりとはいきません。

 

そういった場合はやむをえず裁判を起こすことになるのですが、これまたすんなりと決着がつくことは希です。まぁ特許裁判に限らず、裁判の殆どはそうですが…。

 

特許権者(原告)から訴えられた相手方(被告)にしてみればデタラメないいがかりだといって拒絶したり、場合によっては反対に原告側を訴え返すこともあります。

 

裁判は本人自ら手続きすることもできますが、専門的な法律的知識や経験が必要となりますので通常は裁判の専門家である弁護士に依頼します。ただし弁護士といってもその守備範囲は膨大ですので、医師と同じように当然得意な分野や苦手な分野があります。

 

特に特許裁判のような特殊な分野を扱える弁護士はほんの一部です。ですので事件を依頼する場合には、知財に関する知識や裁判の経験があるかどうかを確認することが重要です。

 

かつて私が見聞きした例ではある厨房機器メーカーがその顧問弁護士に特許侵害の相談をしたところ、その弁護士はまだ出願したばかりの段階、つまり審査も受けていない、当然特許権も発生していない段階にもかかわらず相手方や関係各所に販売中止の警告書を出しまくってしまい、逆に相手方から不正競争防止法違反で訴えられて何百万円も賠償金を取られてしまったという事例がありました。

 

法律家なのにあまりにも知財に関して無知というか信じられない事例ですが、弁護士だからといって不用意に信頼してしまうと依頼者自身が損してしまうことがあります。良識のある弁護士ならば苦手な分野は正直にできません、といって依頼を断るのですが、事務員の給料も払えないような経営状態が危うい弁護士だとなんでも請け負ってしまう傾向があるので注意が必要です。

 

特に最近は弁護士の数が増えて喰えない弁護士が急増しているとのことですので、もしなにか相談や依頼をする場合はネットの情報だけでなく、信頼のおける筋からの紹介が安心です。

 

ちなみにこれは単なる個人的な偏見かも知れませんが、事務所のHPが派手なほど経営がうまくいっていない傾向があるようです。集客を狙って美辞麗句を並べたり加工画像を載せたりいかに自分たちが優れているのかをなんのエビデンスもなく宣伝しているようなHPの事務所は避けた方がいいと思います。

 

そもそも顧客に信頼されて多くの顧問先を抱えている事務所では無理に集客する必要がありませんでので、そのHPも驚くほどシンプルだったりします。むしろ費用だけしか考えない質の悪い客を排除するためにそうしているケースもあるようです。

 

 

さて、実際に特許の裁判となると通常は原告も被告も弁護士を代理人として争うことになります。

 

ちなみに特許裁判では弁護士だけでなく専門の試験に合格した弁理士も特許裁判の代理人になることができます。弁理士も弁護士と共にあるいは弁護士に代わって裁判所で依頼人の主張を述べることができるのです。この資格を持つ弁理士は「付記弁理士」とよばれ、弁理士全体の3割ほどいます。

 

特許の裁判は、結局のところ被告製品が特許発明の技術的範囲に属するか否かで争われます。被告製品が特許発明の技術的範囲に属していると判断されると侵害が成立して原告側が勝ち、反対に属していないと判断されると侵害が否定されて被告側の勝ちとなりますので双方の代理人は自分の主張こそが正当であることを法廷の場で主張するのです。

 

その間を取り持つ裁判官はいうまでもなくどちらの味方でもありませんので、原告側としては被告製品が特許発明の技術的範囲に属するとの証拠を示して主張し、被告側としては被告製品が特許発明の技術的範囲に属していないとの証拠を示して反論します。

 

これらの攻防はだいたい月1回のペースで相互の代理人が裁判所に出頭して行うのですが、そこで主張する内容は基本的には予め提出する準備書面に書かれていますので、出頭当日は双方共に「書面に書かれたことを陳述します」と述べるだけでだいたい5~10分程度で終わるのが殆どです。

 

そして、このようなやりとりが早くて1年長くて3年程度すると双方の主張も出し尽くされますので、裁判所はそれらすべてのやりとりを斟酌して争点を絞りどちらの主張が正しいかを判断して判決するのですが、通常というか殆どの場合、裁判官はその前に心証を述べた上で当事者に和解を勧告してきます。

 

判決となると一刀両断的に白黒がはっきりするのに対し、和解はどちらも痛み分け(引き分け)という結果になります。そもそも白黒はっきりさせたいと裁判を起こしたものの判決で負けてしまい、それがニュースになると世間体もよくないという事情もあって特許裁判の半分程度は和解で終了しているようです。和解になると裁判官も面倒臭い判決書を書く必要がなくなるのでどちらかが和解を拒むと不機嫌になる裁判官もいるようです。

 

特許裁判の審理は通常2段階で行われます。まず第1段階は「侵害論」といって特許発明を侵害してるかどうかの判断が行われます。この第1段階で侵害していないと判断されればそれで終了ですが、侵害していると判断されると次の第2段階に入ります。

 

第2段階は「損害論」といってその侵害によって実際にどの程度の損害が発生しているかは審理されます。特許権侵害が認められれば少なくとも実施料相当額以上の損害が発生していると考えられるため、特許権者は相手方からその分の賠償金を取ることができます。

 

裁判では勝っても負けても代理人費用が係りますから相手からお金を取れるかどうかは重要です。また、損害賠償を求める訴訟では自分の代理人費用分も相手方に請求できますので少なくともその費用分は欲しいところです。

 

ちなみに特許裁判は第1審が東京地方裁判所か大阪地方裁判所かのどちらかにしか訴えを起こすことができません。これを専属管轄といい、これ以外の裁判所では原則として訴状を受け付けてくれないのです。

 

そもそもすべての裁判のなかでも特許の裁判自体、極僅か(年間百件程度)ですし、それを審理できる裁判官も少ないため、大都市にある東京地方裁判所と大阪地方裁判所で集中審理しているようです。そのため、特許裁判を扱える弁護士も東京と大阪に集中しています。

 

このようにして出された第1審の判決に対して不服がある場合は、第2審として東京にある知的財産高等裁判所に控訴することができます。控訴状を受理した知財高裁は第1審の審理を基礎として控訴した側の主張が正しいか否かを判断し、第1審と同じような審理形式で審理を行い、審理が熟したならば和解勧告若しくは判決を出します。

 

この知財高裁の判決に不服があれば、さらに第3審として最高裁判所に上告することができます。しかし最高裁判所では事実審を審理しませんので殆どの事件は上告不受理決定、すなわち門前払いとなります。データによると年間3千件ほどの上告があるようですが、実際に審理に至る事件は僅か20~30件程度、すなわち全体の1%程度でその殆どは上告不受理となって審理されることなく門前払いとなっています。最高裁の判事は15人しかいませんからしょうがないですね。

 

このように特許裁判は他の裁判にも増して多くの費用と時間を要し、また、裁判を起こしてもその勝率は決して高くないので裁判を起こすのは熟慮した上での最終的な手段と考えた方がよさそうです。

 

ただし裁判を起こす原告側としては負けたとしても裁判費用や代理人費用が無駄になるだけですが、被告側としては負け場合には裁判費用や代人費用に加え、莫大な賠償金を支払う可能性がある上に勝ったとしても得るものが殆ど無いため、圧倒的に不利な立場であることは間違いないようです。

 

そのため、積極的に権利行使するつもりはないけど、仮にライバル企業に訴えられた場合の対抗策として特許を取得しておくといった戦略を採る企業も多いようです。

 

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これは似てないだろ?
2024年04月26日

みなさんは、この商標(上)と、この商標(下)は似てると思いますか?

 

 

 

 

 

 

 

この商標が付されたらお客さんが間違ってその商品を買ってしまうでしょうか?あるいは間違えなくとも販売元がなんか資本関係がある関連会社なのかと誤解しますでしょうか?

 

登録商標としてふさわしくない商標が誤って登録されたときは利害関係人はその登録を無効にするための審判を特許庁に請求することができます。

 

この無効審判の請求があったときは特許庁はその是非を判断することになるのですが、その最終判断である審決に不服があるときは、当事者は特許庁ではなく、相手方を被告として裁判(行政訴訟)を請求することができます。

 

例えば、特許庁で無効審判の請求が成り立たないとの審決、つまり無効審判の請求人側が負けた場合は、その請求人が原告となって商標権者を被告として訴訟を提起し、反対に商標権者が負けた場合(無効審決)は、商標権者が原告となって審判請求人を被告として訴訟を提起します。

 

令和6年3月27日に判決言渡があった令和5年(行ケ)第10068号 審決取消請求事件は、前者のパターンである無効審判の請求人が特許庁の審決、つまり無効でないとの審決を不服として知財高裁に提訴したところ、その主張が認められてその審決が取り消しになった事件です。

 

ちょっとややこしいのですが、要するに特許庁では「その登録商標は無効じゃないよ(有効)」と判断したけど、裁判所では反対に「その登録商標は無効だから特許庁の判断は間違っているよ」と判断した事件です。

 

争いとなった登録商標はこれです。

 

商標登録第6371695号

 

 

令和2年3月11日に出願し、拒絶理由通知を受けることなくそのまま令和3年4月1日に登録になったものです。

 

この登録商標に対し、原告は令和3年7月14日に特許庁に無効審判を請求したところ、特許庁は、令和5年5月18日に「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、これに対して原告が令和5年6月26日にその審決の取消しを求めて訴えを提起したのです。

 

原告が主張する無効理由は、商標法4条1項11号と同項15号に違反するというものです。つまり、争いになったこの登録商標の出願前に、すでにこの登録商標と類似する原告の商標があるから、この登録商標は誤って登録されたものであって、無効である、というものです。

 

この原告の商標というのがこれです。

 

 

 

商標登録第4640297号

 

誰でも一度は目にしたことがある有名な株式会社丸井の登録商標です。裁判所は争いになったこの登録商標はこの丸井の登録商標に似ているから無効だと判断したのです。

 

でも、みなさんどう思いますか? 似てますか?

 

専門家の私から見てもどうしても似てないと思うし、特許庁もそう判断したので原告の訴えを却下したのです。

 

でも、そもそも商標が似てるかそうでないかってどうやって判断するのでしょうか。裁判官の主観でしょうか。もちろん人間が判断することですから、ある程度は主観が介在する余地は否定しませんが、一応客観的な判断基準というか判例がいくつか存在します。それが以下に示す内容です。

 

「商標の類否は、対比される両商標が同一又は類似の商品又は役務に使用された場合に、その商品又は役務の出所につき誤認混同を生ずるおそれがあるか否かによって決すべきであるが、それには、そのような商品又は役務に使用された商標がその外観、観念、称呼等によって取引者に与える印象、記憶、連想等を総合して全体的に考察すべきであり、しかも、その商品又は役務に係る取引の実情を明らかにし得る限り、その具体的な取引状況に基づいて判断するのが相当である(最高裁昭和45 10 15 20 25 3年2月27日第三小法廷判決(昭和39年(行ツ)第110号)民集22巻2号399頁参照)。」

「また、複数の構成部分を組み合わせた結合商標については、商標の構成部分の一部が取引者、需要者に対し商品又は役務の出所識別標識として強く支配的な印象を与えると認められる場合や、それ以外の部分から出所識別標識としての称呼、観念が生じないと認められる場合等、商標の各構成部分がそれを分離して観察することが取引上不自然であると思われるほど不可分的に結合していると認められない場合には、その構成部分の一部を抽出し、当該部分だけを他人の商標と比較して商標の類否を判断することも許されると解すべきである(最高裁昭和38年12月5日第一小法廷判決(昭和37年(オ)第953号)民集17巻12号1621頁、最高裁平成5年9月10日第二小法廷判決(平成3年(行ツ)第103号)民集47巻7号5009頁、最高裁平成20年9月8日第二小法廷判決(平成19年(行ヒ)第223号)裁判集民事228号561頁参照)。」

 

なんか、難しい表現や文字がたくさんあって読んでるうちに頭が痛くなってきそうですが、一応裁判所はこれら過去の最高裁判例に基づいて商標の類否を判断しているのです。

 

この判例が示す意味をざっくりと説明すると、まず最初の判例は、商標の見た目(外観)、商標の称呼(読み方)、商標から受ける観念(イメージ)および取引の実情を考慮した場合に、その商標を付した商品の出所つまりその商品のメーカーが同じと誤って消費者が誤解してしまうおそれがあるかどうかという視点で判断する。つまり、消費者が商品自体を間違って購入するのではなく、あくまでのその商品の出所が同じメーカーであると誤解する程商標が似ているかどうかで判断するんだよ、ということです。

 

2つめの判例は、商標が複数の構成からなる場合の判断手法を示したものです。商標はまとまりをもった文字だけのものの他に、図形やロゴなどとと組み合わせたもの、さらに文字でも違う書体や意味を組み合わせたものなど様々な形態のものがあります。このような商標は結合商標と呼ばれ、この結合商標とそうでない商標との類否判断基準を示したのがこの判例です。つまり、結合商標はそのすべての要素が結合した商標全体で類否を判断するのが原則であるが、分離して観察することが不自然でないときは分離してその分離した部分同士で類否を判断してもいいよ、といっています。

 

さて、争いとなった登録商標と、原告の登録商標を比較すると、商標全体としては消費者が出所の混同を招くほど類似しているとは到底思えませんよね。争いとなった登録商標は「O!OiMAIN」なる文字列をすべて黒文字で、かつ等間隔でちょっと斜めに傾いた斜体でまとまりよく書かれています。一方、原告の登録商標は、赤いOと縦棒を交互に配置したおなじみの商標です。

 

ところが裁判所は、「O!OiMAIN」は、前半の「O!Oi」部分と後半の「MAIN」とは分離して観察することが不自然でないし、そうすると前半の「O!Oi」と、赤いOと縦棒を交互に配置した原告商標を比べると見た目や観念が共通するから両商標は類似する、との判断したのです。

 

でも、これってどうでしょうか?そもそも「前半の「O!Oi」部分と後半の「MAIN」とは分離して観察することが不自然でない」という判断はどうみても納得できないのですが、みなさんはどう思いますか?これじゃいくら何でも商標権者が気の毒です。私が代理人だったら裁判官にくってかかりそうです。

 

でも、この判決理由をよく読んでみると、被告の商標権者は「O!Oi」部分を切り離したような態様の「OIOI」、「OiOi」、「O!Oi」等の標章を実際に使用していたり、「O!OiCOLLECTION」のように「O!Oi」部分と他の文字を組み合わせて使用していたりしますので、裁判所はこれらの取引の実情を考慮して「前半の「O!Oi」部分と後半の「MAIN」とは分離して観察することが不自然でない」と判断したのかもしれません。

 

ですので、商標権者がもしこのような「O!Oi」部分を切り離したような使用をしていなければ、結論はまた違っていたかもしれませんね。

 

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商標話し(5)キャッチフレーズの商標登録
2023年03月28日

いいキャッチフレーズを思いついたのでこれを商標登録して我が社で独占したいというご相談を受けることがあります。

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女子高生が特許を取って製品化
2022年08月29日

個人発明家が特許をとったもののそれを実際に製品化したりライセンスして収益化するのはなかなかハードルが高いです。

 
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