すみれブログ
経営者に必要な資質(その2) 「義」
2015年10月5日

三国志をみていると、しばしば「義」という概念が登場します。

 

赤壁の戦いに敗れて敗走する曹操の前に立ちはだかったのは、敵国の将、関羽でした。関羽は命により敗走する曹操を討つべく待ち伏せていたわけですが、以前放浪していた自分を救って厚遇し、名馬赤兎馬まで与えてくれた恩人の曹操を討つことができず、そのまま見逃してしまうのでした。

 

もし、ここで曹操を討っていたら魏という国は消滅していたかもしれないし、三国志もできていなかったかもしれません。関羽の行動は死罪も免れない重罪ですが、それでも関羽は己の「義」に反することができなかったのです。

 

ちなみに、関羽は「義」に厚い人物として中国では今でももっとも人気のある登場人物の一人です。

 

「義」とは、打算や損得のない人間としての正しい道、すなわち正義を指すものであり、新渡戸稲造の「武士道」では「仁」、「礼」、「勇」、「誠」などにも勝る、中心かつ最も厳格な徳目とされています。

 

人間の行動の源は欲望と恐怖といわれています。食欲、性欲、睡眠欲のような生理的欲求や物欲、承認、支配などの社会的欲求を満たすため、あるいは孤独や死などの恐怖から逃れるために人々は行動するといわれています。

 

しかし、欲望と恐怖だけで行動したのでは動物と同じです。人には欲望や恐怖を超えた行動の源というものが存在し、その1つが「義」という概念です。

 

かつて「義」を欠いた行動は卑怯と見做され、少なくとも武家社会では生きていけませんでした。これは武家社会だけでなく、農民の世界でも村八分にされて村民から相手にされなくなったようです。

 

「敵に塩を送る」という有名な諺があります。これは上杉謙信が敵対している武田信玄に甲斐国で不足している塩を送ることで窮状を救ったものですが、「義」を重んじる謙信にとってはいかに敵とはいえ窮状に陥ったときは助けるのが武士であり、弱みにつけ込み攻めるのは卑怯だと考えたようです。

 

時代劇などで武士が敵に捕らえられて辱めを受けるのならば、潔く自決の道を選ぶのもこの「義」という概念を押さえておけば理解できます。

 

「義」という概念は元々は孔子の儒教の教えの1つですから三国志に登場するのは極々当たり前ですし、武士道の教え自体が儒教を参考にしていることから考えてみれば不思議ではありませんね。

 

現代では人々の行動はすべて法律によって規制されており法律にさえ触れなければ何をやっても良いというような風潮が一部ありますが、「義」を欠いた行動は人としての信用や尊厳を損ねることにもなりますので自らの行動の規範の1つとして常に心しておくことが重要であると思います。

 

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