すみれブログ
まだまだガラケー?
2018年04月16日

なにを血迷ったのか、80過ぎの高齢の親から今使っているガラケーからスマホに乗り換えたいとの電話があった。

 

いままでパソコンはおろかメールすらやったことがないのにいきなりスマホなんて使いこなせるのか?と思ったが、まわりのお年寄り達の影響だろうか?一度どういったものか自分でも使ってみたいとのこと。

 

まぁ、老い先短い人生だから好きにすればいいと応えておいたが、朝一番に近所のド○○ショップにいったところ年寄りでも使えそうとのことで店員から勧められたスマホの料金が月々8000円以上もかかることに驚いて止めにしたそうだ。

 

そりゃ、いまどきの売れっ子俳優を使ったCMをゴールデンタイムにバンバンをうつわ、日本国中至る所に○コ○ショップがあるわーで、そのお金は結局全てユーザーの懐から賄うわけだからそのくらいは当然といえば当然だが、それまでタダ同然(私名義)で携帯を使っていた立場から考えれば相当高額な出費に映ったようだ。それと大手キャリア特有の一般人には理解不能な複雑怪奇な料金体系にも不信感を持ったようだ。

 

わたしはというといまだにガラケー派でスマホは一応持っているがいわゆる格安SIMで月々の支払いもわずかだ。

 

なぜ、いまだにガラケーかというとだいぶ老眼が進行してきてスマホの小さい文字をみるのが苦痛になってきたというのが大きな理由の1つだが、なんといっても操作が簡単で電池持ちがいいというのはスマホにはないガラケー最大のメリットだ。そもそも実際に通話するのは外出先で急ぎの場合だけだし、一度満充電にすると1週間程度は電池がもつわけでいざというときの電池切れという心配がないのがいい。

 

その一方、スマホにはスマホなりのメリットもあるわけで外出先での調べ物や電車の乗り換え情報の検索等の点では到底ガラケーは及ばない。アプリも豊富でちょっとした暇つぶしにはとても便利だ。

 

といっても2台ももって出歩くのは面倒だからそのうちスマホに集約するつもりだが、MNP転入の手続やらスマホの買い換えやらいろいろ面倒なので当分2台持ち状態が続きそうだ。

 

しかし、昔に比べると電話機やその環境も大きく変わった。

 

私の生まれ育ったところは福島県の中通りにある田舎だが、それでも物心ついた頃には既に自宅に電話が引いてあった。

 

たしか、こんな電話機だったと思う。

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ご覧のとおり、ダイヤルもプッシュボタンもない。どうやって使うかというと実は極めて簡単で、受話器を取ってから筐体の横にあるハンドルを手でグルグルと回すだけだ。原理はよく分からないが、その手回しハンドルを回すと近くの電電公社の交換手に繋がるから、その交換手に対して通話先の名前か電話番号を伝えるだけである。

 

そういえば、子どもの頃いちどこの電話機を使って友達の家にいたずら電話をして遊んでいたらいきなり交換手が出てきて怒られてしまい驚いた記憶がある。今では考えられないが通話内容は筒付けだった。のどかな時代である。

 

ちなみに私の世代でもこれは↓さすがに知らない。たしかジブリ映画のとなりのトトロで出てきたものもこれだと思うがどうやって使うのでしょう。

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それから暫く経ってこんなダイヤル式の電話機になった↓。

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いまの若い子たちは使い方が分からないようだが、これも極めて簡単で、数字が書いてある穴に指をいれてそのまま右端まで回して離すだけだ。右端まで回すとバネでそのダイヤルプレートが自動で戻り、その戻る時間がその数字に対応しているため、電話番号の桁数だけそれを繰り返すだけだ。

 

むかしフィンガー5というアイドルグループがいて、「指の震えを抑えつつ、僕はダイヤル回したよ、君のテレフォンナンバー6700…」とかいう歌詞があったが、以前の手回し式のものやその後のプッシュボタン式の電話機の時代ではできない歌詞だっただろう。

 

このダイヤル式の電話機はその後長く続き、私が大学に通うために上京してきた頃まであったと思う。ただ当時は電話を引くためには高額な電話加入権を買わないといけない時代だったため、上京当時は貧乏でとりあえず電話機を持つのが当座の夢だった。

 

それから2~3年程たってアルバイトで貯めたお金でようやくアパートに電話を引くことができた。それまでは緊急の連絡は大家さんからの呼び出しか、公衆電話しかなかったため、初めて電話機をもてたときはとてもうれしかった記憶がある。

 

そのときの電話機がこのタイプ↓。

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それまで主流のダイヤル式からプッシュボタン式に変わった。ジーコ、ジーコというダイヤル式の音からピッ、ポッ、パッの音に様変わりした。

 

公衆電話も10円玉を使う赤電話からテレフォンカード式のものに変わった時代だ。

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またこの頃に携帯電話が出回り始めたが、当時契約のためには高額な補償金と月額料金、通話料が必要であったため、一般庶民には高値の花であった。バブルの不動産投資等で大儲けした一部のお金持ちしかもてなかった時代である。

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それでも瞬く間に携帯電話が普及すると当時に、小型・軽量化して誰でももてる時代になった。私が最初にもった携帯電話がこれ↓

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「ドニーチョ」という通話頻度が少なくなる土日祝日と夜間しか使えない安価なプランだったが、外出先でも車の中でもどこでも使えるのは感動したものだった。

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その後からいまのスマホに至ってはいまさら書くこともないが、スマホに至っては数字のボタンすらなく単につるつるの硝子板をなぞるだけで操作できるなんて、手回しハンドル式の時代には想像すらできなかったと思う。

 

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